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Bachiatari !
    + GG(ガレージゲーム)シリーズ T

T.Grage Game  No.1
 桜の花散り青葉繁る早朝、まだ登校してくる生徒もいない。朝日の差し込む体育館に、激しく床をつくドリブルの音が響く。全速力で突っ込んで、ゴール近くでジャンプする。右手でボールを高く上げる。目の前に仮想ディフェンスがブロックしてくるのを避けて、素早く降ろし、左手に持ち替える。高いジャンプ。抜群のバランス感覚。エア・ウォークにすら見えるアクションでボールをリリースする。鮮やかにボールがリングの中に吸い込まれていく。2アクションでショートを入れるダブルクラッチシュート。早く完成させたい。試合で使ってみたい。転々とするボールを拾う。
「ふう…」
 大きく深呼吸し、うっすらと浮かんだ額の汗を素肌の腕で拭う。一八二センチの背筋はピンと伸びて、よく鍛えられ、しまっている。大きめの目と通った鼻筋の顔立ちが、自然とほころぶ。少年らしく颯爽とした中にまだ大人になりきっていないあどけなさがあった。気を引き締めて、三十八本目に入る。
 左手で引っ掛けるようにして打つフックシュートが面白いように決まる。安定してくれば上から叩き込むことも…。
 扉が大きな音をたてて開いた。
「あー、式場君!?」
 キンと耳障りな甲高い女子の声。式場和巳が振り向く。かなり背の高い女子がふたり歩いてくる。
「橋ヶ谷キャプテン、村崎…」
 県立葛木高校女子バスケット部キャプテン橋ヶ谷と、和巳と同じ一年の女子部員村崎だ。橋ヶ谷は、一八五センチの県内どころか全国レベルでもトップクラスのプレーヤーで、はっきりと縁取られた目と高い鼻の意志の強そうな美人系だ。村崎も一七五センチと長身だが、ぽっちゃりとした感じがカワイイという男子部員もいるくらいだった。
「何しているの?」
 橋ヶ谷は咎めるような口調だ。見りゃわかるだろうと言いかけて止めた。
「朝練です…」
 橋ヶ谷の目がキツくなった。
「能勢君の許可は、取ってるの?」
 それでなくても練習を中断されて面白くないところに、能勢の名前を出されていっそう不愉快になった。
 三年の能勢は一九五センチのエースセンターだった。
 黙って体をくるっと回転させた。ボールを突きながらダッシュする。
「式場君!」
 咎める声を無視して、ボールに向かう。距離よしの位置で踏み切り、右手でボールを揚げた。背後にぶわっと風圧を感じた。
「あっ!」
 ボールは、右から左に移す前にはたき落とされた。和巳と同時に橋ヶ谷も着地した。ブロックされたボールは、村崎がキャッチしていた。
「ナァイス、ブロック!」
 はしゃいでゴール内中央からシュートを打つ。だが、リングに当たって跳ね返った。
「チェッ、決まんなぁい!」
 いくら全国レベルとはいえ、女子にブロックされては屈辱である。和巳は屈辱を怒りで覚える方だった。橋ヶ谷は和巳が怒りに目をギラつかせている様子にもかまわずに叱った。
「能勢君の許可を取っていないのでしょう?!すぐにやめなさい!」
 和巳は、村崎が拾ってきたボールを奪い取った。その場でボールを突く。
「あなたにそんなこと言われる筋合いないですよ、練習中はちゃんと言われた通りやってんです、他の時間に何やろうと俺の勝手でしょう!」
 背を向け、反対側のゴールに向かってダッシュする。途中でボールを左から右へとチェンジして、一瞬のうちにコースを変えた。ダブルクラッチでシュートする。
「うまぁい!」
 村崎が呆気に取られている。反抗的な背中が黙々とシュートを繰り返していった。

 体育館の高窓から夕陽が差し込んでくる。和巳は、ただひとり離れたところでフットワークを続けていた。入部してすでに二週間がたつ。他の新人部員が、ドリブル・パス・シュート・ディフェンスの練習メニューをこなしていくのに、和巳だけは練習後も居残りさせられて、こればっかりだった。誰が見ても扱きだ。不満はあったが、監督も黙認しているし、フットワークは大切だと思うからこそ、文句も言わずに続けていた。それでも能勢は、眼が反抗的とか口の利き方が生意気とか難クセをつけては怒鳴り、殴りつけてくるのだ。
「式場!ちょっとこい!」
 能勢が呼びつけた。橋ヶ谷も一緒だった。チクられたのだ。案の定、能勢がいきなり頬をひっぱたいた。
「いつ朝練を許可したんだ!勝手なことすんな!」
 手の甲で口元を拭う。血の筋が走っていた。頭に血が登る。
「部活中は言われた通りしてんです!その他の時間に何しようとかまわないでしょう!」
「口答えすんな!俺がいいって言うまで、ボールに触んじゃねぇ!」
 頭の上から怒鳴りつけてくる。目の前にいるのが先輩だということは、吹っ飛んでいた。
「まさか!シュート練習は一日だって欠かせない!ボールに触るなって、どういうつもりなんだよ!」
 能勢の拳が固まった。
「生意気言うんじゃねぇ!おまえは黙って言うとおりにしてりゃいいんだ!」
 バキッと音がした。鼻っ柱がへし折られた。
「ガァッ!」
「キャアー!」
 女子の中から悲鳴が上がる。勢いで前につんのめったのをなんとか踏みとどまった。鼻血がたくさん垂れてくる。
「ちょっと!拳はやりすぎだって、言ってるでしょう!」
 橋ヶ谷がもう一度振り上げている拳を押さえた。和巳が顔を上げた。切れていた。血に塗れた口で怒鳴った。
「黙って殴られてりゃ、いい気になって!バカヤロウ!」
 ガッツ!
 和巳の拳が能勢の顎に命中した。その長身が大きく揺れて、橋ヶ谷にぶつかった。ふたりとも倒れそうになる。
「…式場…!」
 顎を腫らした能勢が眼を剥いている。和巳が学校名がプリントされたTシャツを勢いよく脱いだ。能勢の胸に叩き付けた。
「フザけんな!こんなトコ、やってられるか!」
「待ちなさい、式場君!」
 遮る橋ヶ谷の手を払い退けて、早足で出て行った。橋ヶ谷が落ちたTシャツを拾った。
「朝練のことを言ったのは、あの子のバスケに賭ける気持ちがハンパじゃないってわかってもらうためだったのよ。それなのに、こんなことにするなんて…」
 周りの部員が心配そうに見ている。能勢の拳が震えていた。

 真っ暗なマンションに帰ってきた。鏡を見る。鼻血はすぐに止まったが、口の中の傷は腫れていた。水を含むと痛い。
自分の部屋に入る。電気もつけずにフローリングの床に座り込み、転がっているボールを抱えた。唇がボールのざらついた肌をを捕らえた。小四以来五年以上も続けてきたのに、やめることになるのか…。押さえていたものが湧き上がってくる。
「ちきしょう…やめたくない、やめたくない」
 くやしさと怒りが膨れ上がっていく。痛いほどボールに頬ずりした。
 玄関の方でカチャッと音がした。鍵の回る音だ。母親が帰宅したのだ。
「ねっ、いないでしょ?十時すぎまで帰ってこないのよ、だから…ねぇ…」
 高いハイヒールを脱いだ。真っ赤なルージュの唇を開く。高校生の息子がいるとは思えないほど若い。目鼻立ちのはっきりとした美貌と崩れていないセクシーな体が誘う。二十代も前半らしい若い男が、薄い唇を歪めた。
「へっ、あと二時間か…ちょうど、『御休憩』ってわけだ…」
 その場で抱き寄せて、唇を吸う。すぐに舌が首筋を這い出した。母親が艶かしく喘ぐ。
「あ…ん…」
 男がパンストとパンティを降ろす。指が入り込んだところはもう洪水だった。
「ちぇっ…もう濡れてやがる…スケベだな、あんたのここ…」
 玄関マットの上に押し倒す。大きく切れ込んだワンピースの胸元を広げて、ブラジャーからこぼれんばかりに豊かで形のよい乳房をプルンと取り出す。
「吸って…」
 乳首を含んで吸い出す。急に影が落ちた。男が顔を上げた。
「おめぇ…」
 低く唸った。仰向けの母親が、大きな眼を見張った。
「和巳!帰ってたの!?」
 男がさっさと離れる。腹立たしげに吐いた。
「帰るぜ!明日連絡する!」
 ファスナーを引き上げ、玄関に並んだ靴を乱暴に蹴散らしていった。
 和巳が、ようやく立ち上がった母親に怒鳴った。
「ホテルにいけよ!どうして、いつもウチでやるんだよ!」
 途中で引っかかっているパンストとパンティを脱いだ。ワンピースを降ろしてランジェリー姿になった。
「ここは私の家よ!どうしてホテルに行かなきゃならないの!?」
 居間のソファの上にワンピースやらを投げて、ストンと腰を降ろした。バッグの中から細身のメンソールを出して、火を点けた。紫煙を立ち上らせる。
「ああ生むんじゃなかった。別れるのに、こんなに邪魔になるなんて!」
「自分で生んどいて、勝手なこと言うなよ!」
 吐き散らして部屋に入る。何もかもムシャクシャする。そういう時は寝ちまえ!ボールを抱えてベッドに横になった。

―「困ったね、お父さんにも。引き取りに応じてくれないんだよ」
 宝飾店経営の母親が雇っている弁護士酒井が、ハンカチで眼鏡のレンズを拭きながらため息をついた。向かい側の和巳は、事務所の女が出してくれた紅茶のカップを睨みつけていた。
「とりあえずはお母さんのところにいるしかないんだけどね。あちらはもう女性と一緒に暮らしているし、お母さんも一緒に暮らしたいという男性がいるんだ。なかなか調整つかなくて…」
 和巳は黙って下を向いたままだった。母親は、次から次へと相手を変えるのに、その度に一緒に暮らしたがるのだ。
「京杏学園のスカウトが来るって話、ちゃんとお父さんたちにしたの?」
 酒井が和巳を責めるような口調で尋ねた。両親にちゃんと話したのに、どちらも約束の日に来てくれなかった。京杏の監督とスカウトは怒って帰ってしまったのである。名門校にこだわりも執着もなかったが、ひどく恥ずかしくて、つらかった。
「まあ、私立では、いくらスポーツ推薦でも、ある程度保護者面接とかあるだろうし、こういうゴタゴタの家庭事情があるのでは難しかったと思うよ。遠征なんかには保護者がついていくところもあるそうだし。県立でいいじゃないか」
 母親とつるんでいるこいつといくら話しても無駄だ。腰を上げた。
「とにかく、離婚って決まったんでしょう?早く話しつけてください」
 それが中三の秋のことだった。それから八ヶ月以上経った。よく受験に失敗しなかったと自分を誉めてやった。だが、母親の相手が変わっても、和巳が宙ぶらりんの状況は変わらない―

 いつものクセで朝五時には目が覚めてしまった。もう朝練にいくこともない。ごろごろしていた。しばらくして起き上がり、カーテンを開けた。薄日は差しているが、あまり天気はよくない。夕べ抱いて寝たボールを片掌で掴む。いつもはワクワクして眺めているNBAのポスターがつらかった。

 その日一日のなんと長かったことか。さっさと帰宅して来たものの、部活のある日の午後五時に家にいるのは初めてだった。病気にまで嫌われているといわれるほど丈夫で、怪我も少なく、ましてサボったりするなど一度もなかった。
 つけてもいないテレビの前でぼうっと座っていると、ダイニングキッチンから声がした。
「和巳さん、食事できましたから、後はお願いしますね」
 通いの家政婦だった。
「ああ」
 気のない返事をする。家政婦はすぐに帰った。どうせ母親は外で食べてくる。早々に片付けて部屋に籠もる。
 寝るには早すぎる。テレビを見る習慣もゲームをする趣味もない。教科書なんて広げるわけはない。なかなか時間が過ぎない。
 長い夜―こんな長い夜が、この先ずっと続くのかー
 息が詰まってきた。
 翌朝、いつも見送りもしない母親が玄関に来た。
「今夜は、あっちに行ってちょうだい」
 財布から五千円札を出した。あの男が来るのだ。さっとひったくって、ローファーを引っ掛けた。
 今朝は日差しがまぶしすぎる。また長い一日が始まった。
 昼休みに職員室に行く、現国教師兼監督の脇坂を訪ねたが、いなかった。かまわず、机の上に退部届を置く。これで終わったのだ。何もかも…。
 授業終了のベルがやけに耳障りでしかたがない。つい二日前は、今か今かと待ちかねて、帰ると同時に教室を飛び出していって…。もう終わったんだと思っても、だめだった。ドン底の気分は盛り上げようもない。
鞄と部室ロッカーの荷物をほおりこんだドラムバッグを持って出口に向かう。
「おまえか、式場っての」

 
   
 
 


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