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Bachiatari !
    + GG(ガレージゲーム)シリーズ U

U.Workout Diarys  No.3

 いつの間にか誰もいなくなっていた。時間の経つのも忘れていた。事務所の時計は七時を指していた。あと二時間は出来る。
 安仁屋がやってきた。
「もう、上がれ。昨日七時に閉めただろう」
 確かに昨日は七時に上がって、三人でファミレスに行ったのだ。和巳が額の汗を拭った。
「もっと、やりたい」
 安仁屋が細い眼をもっと細くした。
「何時までやるつもりなんだ」
「九時まで。九時半でもいい」
 安仁屋が眼を丸くした。急に腹を抱えて笑い出した。あまりにバカにしたような笑いだったので、和巳がむっとしてしまった。
「何がおかしんだよ」
 安仁屋が笑うのをぴたっとやめて、人差し指で和巳の胸を突付いた。
「そんなに張り切ってどうするんだよ、こんなクソ溜めみたいなとこで」
 安仁屋の目が汚いものでも見るようだった。
 そうだった。男に買われて尻を犯されるんだ。
 そんな連中が這いずっているとこだった。だが、そんなとこでもやりたい。とにかく、バスケを。
「だって、オーナーが『腕』磨けって言ったし、やりたいんだ、練習」
 しおらしげにうなだれた。安仁屋がつかの間考えてからぼそっとつぶやいた。
「待ってろ」
 事務所の中に入っていった。どこかに電話している。反射的に体が動いていた。事務所の扉を乱暴に開けた。
「オーナーにチクったな!」
 机の上に飛び上がって安仁屋のシャツを掴んで吊り上げた。安仁屋が苦しそうに呻いた。
「チクったなんて、人聞きの悪いこというな、延長するにしたって、オーナーに許可もらわなきゃならねぇんだよ!」
 何するにしても、独断ではできないのだ。安仁屋を離した。
「近くにオフィスがあるんだ。すぐ来るってよ」
 和巳が机を降りて床にへたり込んだ。
 十分としないうちにガレージの扉が開いた。安仁屋が椅子から立ち、和巳も腰を上げた。事務所の中にオーナーが入ってきた。和巳は顔を伏せた。
 あの夜以来だ。まともに顔なんか見られない。オーナーが側までやって来た。
「九時まで練習したいといってるそうだな」
 オーナーのクールさは変わらない。和巳は下を向いたまま返事した。
「はい、毎日。できれば土日も」
 安仁屋がオールバックの髪をなで上げた。
「無茶苦茶いいやがって」
 オーナーの靴先が視界に入ってきた。急に緊張してきた。初日に沢口がおびえていたのを内心バカにしていたが、とんでもなかった。自分も同じように震え上がっていた。
 オーナーの手が伸びて来た。顎を掴まれた。オーナーの眼が見下ろしている。みっともないほど顔を赤くしているに違いなかった。手を離したオーナーが机の向こうに行った。
「平日は用がないとき、七時から私がここに来る。用で来られないときや土日はあきらめろ」
 安仁屋の驚いた顔といったらなかった。だが、すぐに小さく肩をすくめてオーナーにお辞儀して出ていった。
 オーナーはコートを脱いで椅子の背に掛けた。スーツの内ポケットから茶封筒を出して机の上に投げた。
「忘れていったぞ」
 ギャラだ。別に欲しくはなかったが、受け取って二つ折りにして尻ポケットに突っ込んだ。オーナーは持っていたノートパソコンを使い始めた。和巳はオーナーに見とれていて突っ立っていた。気付いたオーナーが号令をかけた。
「始めろ」
 慌てて返事した。
「ハイ!」
 軽くドリブルしてから片手ボールでジャンプする。
 だが、スカッ。届かない。少し高さが足りなかった。もし見られていたら恥ずかしい。…オーナーの方をチラッと見た。オーナーは下を向いていた。ほっとする。肩を回して余計な力を抜こうとした。
 再挑戦。ガシャッ!
 叩き込んだ瞬間に掴んだリングが硬い音を立てて、揺れた。
「よっしゃ!」
 気合を入れる。こいつを完全にものにしてやる。そのためなら、何万本だって叩き込んでやる。和巳大得意の反復練習が開始された。
 二時間なんて短いもんだ。すぐに過ぎてしまう。事務所のランドリーラックにTシャツやらを放り込んで、挨拶した。
「有難うございました。失礼します」
 外に出ると、火照った体が少し冷えた。このあたりは、倉庫やカープール、工場などがあるだけなので、あまり夜遅いと、バスの本数が少なくなる。九時台ならまだなんとか走っているが、待つのはかったるいので、タクシーを拾おうとした。車の流れを見ていたら、急にライトが当たってきた。眩しくて顔をしかめる。目の前で一台の車が停車した。アウディという外車だ。濃紺の落ち着いたボディカラー。スモークが掛かっているウィンドウがスゥーッと降りていく。ドライバーが見えてきた。
「オーナー……」
 オーナーが横のシートを指した。
「乗れ、駅までいってやる」
 ……こんなラッキー、ホントか?
 半信半疑になる。それで突っ立っていると、オーナーが前を向いた。
「乗らんなら、行くぞ」
 ウィンドゥが上がっていく。とっさに隙間に手を突っ込んでいた。挟まれそうになる寸前に止まり、和巳はさっとナビシート側に回って、滑り込んだ。
 すぐに発進した。静かな車内だ。いつの間にか鼓動が早くなっている。オーナーに聞こえてしまうのではないか。
 こんなにドキドキしてしまうなんて……笑われちゃうよ。
 オーナーはなにも言わない。和巳もなにも言わない。それでいい。うっかり余計なことでも言って、もう二度とこんなことしてもらえなくなったら、嫌だから。
 きっと、オーナーも腹の底では、安仁屋と同じように自分をクソ溜めで這いずっているガキとしか見ていないだろう。それでもいい。オーナーにとって、自分がメンバーの中でちょっと気にしてもらえるひとりって程度でいいのだ。オーナーによしと思ってもらえるようなプレイができれば、それでいい。
 駅のロータリーに到着した。車が夜の闇に紛れ去っていくまで見送っていた。

 水曜日―三人揃ってコンビプレーを練習した。その後奥住に1ON1の相手をしてもらった。やはり、五本の内、四本止められる。五本の内、三本抜かれる。さすがに室生と並んで『四ツ星』だけはある。
「凄いですね、奥住さん」
 奥住が大きく呼吸を整えた。
「おまえこそ、一年でここまでやるとは、凄いよ」
 奥住に誉められて嬉しい。オーナーに評価されたいという気持ちとはまた別に奥住にはメチャ甘に誉められたい。とにかく、和巳が人からよく思われたいなどと思うのは後にも先にもこのふたりが初めてだった。
 奥住がボールを寄越した。
「さ、ラスト一本、おまえから来いよ」
 和巳が照れくさそうに頭を掻いた。
「それが、オーナーに九時までやっていいって許可もらったから、やってきます」
 沢口があきれ果てた。
「おまえ、これ以上やるのか?」
 奥住は少し心配そうな顔をしていたが、すぐに目元を緩めた。
「よかったな、つきあってやれなくてご免な」
 すまなそうに帰っていった。
 七時に安仁屋とオーナーが交代して、帰り、駅まで車で送ってもらう。これからこのパターンでやってけると思うと嬉しくてたまらない。
 土日は母親が会員のスポーツクラブで筋トレや水泳をしたり、MTBで走り回ったり、とにかく他の方法で体を動かして過ごした。
 ボールを使えないのはつらいが、平日にはできるのだからと疼く体を納得させた。
 何度か放課後、村崎が様子を見に来たが、和巳が睨むと逃げて行った。
 G・W中はガレージを閉鎖されてしまったが、トレーニングしたり、公園でドリブルやステップの練習をした。
 だんだん自分の思い通りばかりにはならないことを覚えていく。五月第二金曜はゲームが開かれなかったので、次は第四金曜日だった。
 いつの間にか、五月の第四週目に入っていた。

 ゲーム前日の木曜日―和巳はひとりで練習していた。だが、六時ごろ奥住がやってきた。
「予備校のほう、いんですか?」
 和巳が心配して尋ねた。
「ああ、いいんだ。少し体を動かしたくなって」
 ふたりで1ON1を繰り返した。ほどなく七時になった。
「今日は九時まで、つきあうから」
 奥住が言い出した。嬉しいが、困った。確かに奥住とは練習したいが、オーナーに帰り、送ってもらえなくなる。
……どうしよう
 と言って断るのも変だ。仕方ないか……そこにレイダーの本村がやってきた。
「ね、僕たちも九時までやっていいかな?」
 佐久間とイエローヘアこと柏崎が遠くから窺っていた。本村が口籠もりながら、言った。
「今さらなんだけど、動いていた方が、少しは気が紛れるっていうか……」
 悪あがきというのは簡単だが、その気持ちもわからないでもない。明日負けたらと思うと落ち着かないのだろう。だが、やっていいかどうかは、和巳には判断できなかった。
「いいかどうか、わからない」
 七時きっかりに、いつも通り、オーナーが入ってきた。みんなで一斉に頭を下げた。和巳が自分が聞いてやるべきか迷っていると、オーナーの方で寄ってきた。
 和巳は緊張した。オーナーが全員を見回した。
「おまえたちも延長するのか」
 奥住が代表して頼んだ。
「はい、とりあえず、今日だけですが、よろしいですか」
 オーナーに対すると震え上がるほかのメンバーと違って、奥住は落ち着いたものだった。
 つかの間の沈黙が怖い。ようやくオーナーが薄い唇を開いた。
「ああ、やれ」
 奥住が礼を言う。
「ありがとうございます」
 みんなもへこっと頭を下げた。オーナーが事務所に入ると、レイダーの三人がフォーメーションワークし始めた。その様子を和巳が見つめた。奥住がそれに気付いた。
「どうした」
「やっぱ、難しいですよね、ファルコに勝つの」
 奥住がため息混じりにうなずいた。
「やってみなければって言ってやりたいけどな」
 和巳もため息をつく。奥住が急にレイダーたちのほうに向かった。訳がわからなかったが、後に続いた。
 何かと手を止めたレイダーの三人に奥住が提案した。
「仮想ファルコで、2ON2、やってみないか」
 レイダーが驚いている。和巳は自分が言ってやりたかったことを奥住が察してくれてうれしかった。
「もちろん、本物には及ばないけど」
 奥住がにこっと唇を上げた。本村は戸惑っていた。
「ううん、そんなことないけど……でも、いいの、ほんとに」
 奥住と和巳が同時にうなずく。和巳が両方の親指を立てた。
「全然OK、マジでやろうぜ」
 佐久間も戸惑っているようだったが、本村に突付かれて頭を下げた。柏崎もほっとした表情を見せた。
 手始めに五人でパスを出し合った。
 事務所で帰り支度をしていた安仁屋がふと外に目を遣った。ぽかっと口を開けた。
「なにしてんだ、あいつら」
 その声でオーナーが顔を上げた。腰を浮かしてガラス越しに見てから座り、眼鏡の中央を指で押し上げた。
「安仁屋」
 安仁屋が振り返った。オーナーがノートパソコンを閉じた。
「コーヒーを入れろ」
 止めさせろと言われるかと思ったのにとあいつが来てからずいぶんと甘くなったもんだ。安仁屋がニヤッと笑った。
 奥住が全員をリセットラインに集めた。
「はっきり言って、ゲームそのものに勝つのは難しいと思う」
 レイダーたちは真剣に耳を傾けている。
「でも、一方的にやられてるばかりじゃないってとこ、見せることはできる」
 奥住がダムッとボールを突く。
「とにかく、抜かれてもそこであきらめずに最後まで室生を追うんだ。コースチェックして、ブロックして、室生の足を止めろ。出来ればダブルチームで挟み込んで、パス出させるようにすればしめたものだ」
 奥住がボールを和巳にほおった。
「おまえが安達の代わりだ。瞬発力に優れ、足も速い。本村は式場とマッチアップ。柏崎はとりあえず外れていてくれ」
 全員が素早く指示通りに動いた。
 和巳がゆっくりとドリブルを始める。だが、本村が構える間も与えず、チェンジ・オブ・ペースでダッシュする。佐久間と対していた奥住も目を逸らした。奥住はバックターンで逆方向に走り出す。和巳がドリブルの動作からクイックパスを寄越す。奥住は飛びついて着地と同時にキャッチし、走る。和巳がすぐに本村を背中で押さえ込み、奥住は走りこみながらのレイアップシュートを決めた。その鮮やかさに佐久間がため息をつく。
「うまい」
 奥住が和巳にボールを戻した。
「何感心してるんだ!初心者じゃあるまいし、あんな見え見えのフェイクにひっかかって!抜かれてもあきらめずに追って来いよ!」
 佐久間が屈辱に顔を伏せた。奥住がふっと力を抜いた。
「最初から駄目だってあきらめてるだろ?やってみなきゃわからないって、掛かってみろよ。例えゲームに勝てなくたって、室生とのマッチアップに何回か勝つことはできる。それを積み重ねていくんだ」
 佐久間の顔が引き締まった。
 佐久間を中心に本村と柏崎を入れ替えて、何度か繰り返した。


 
   
 
 


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