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Bachiatari !
  + GG(ガレージゲーム)シリーズ T

T.Grege Game  No.4
 首を捻って開けてみた。
「これ…は…」
 中には一万円札が三枚…も入っていた。驚いている様子に口髭が不思議そうな目を向けた。
「沢口から聞いてねぇのか…ま、言ってみりゃ、ファイトマネーてなもんさ」
 これがバイト料ならば、あまりにも多すぎる。せいぜい、二、三千円と思っていたのだ。
やはり、ヤバイ金なのか、どうしよう…。
口髭が尋ねた。
「何だ、それじゃ不満か?」
 この金額で不満って…。ますます混乱してくる。
「もう、ここには来るんじゃねぇぞ」
 口髭の声に追い出される。すでに九時になっていた。夜風が火照っていた頬を冷やす。この中であったことは、『夢』だったのではないか。それほどに現実離れしていた。とんでもなく危険で…でも凄くエキサイティングで楽しかった。
 勝ったからこそとはわかっていたが、のめりこんでしまいそうだった。もう来るなといわれたことは、忘れていた。
 近くを通る国道でタクシーを拾い、駅まで行った。父親の家を訪ねるにはあまりに遅くなってしまった。母親のところなら、鍵を持っているから忍び込めばいい。
 ゆっくりと音を立てないようにして、鍵を回し、そおっと入り込んだ。和巳の部屋はリビングを通った奥にある。だがリビングルームには明かりがついていた。覗き込む。
 ローテーブルの上に素っ裸の母親が、大股を広げて寝ていた。あの男が、そこに顔を埋めている。
…せめて、ベッドでやれよ!
 その行為よりも自分の部屋に入れないことに苛立つ。それほどに見慣れた光景だった。
「あっあっ…ン…もっと…舐めてぇ…」
 紅い唇が淫らな息を漏らし、乳房を掴んで腰を振った。男の荒い息と舌を使う濡れた音がする。
「ったく…まだ足んねぇのかぁ…あんたの舌、もう、ベロベロだぜ…」
 テーブルがカタカタと揺れる。玄関脇の部屋で寝よう。身体を回したとき、鞄がガラス扉に当たってしまった。
「何だ?」
 男がテーブルから離れた。あわてて部屋に飛び込もうとしたが、間に合わなかった。
「おめぇ…」
 男の後ろから覗き込んだ母親が驚いた。
「和巳…!?」
 男が母親の腕を握って乱暴に振った。
「ガキはオヤジのとこじゃなかったのか!?」
 母親がその剣幕におびえた。
「い、行かせたのよ…この子が勝手に帰ってきたんだから…」
 男が突き放した。母親が壁にぶつかって悲鳴を上げた。
「何とかしろ!こんなんがいたんじゃ、やる気になんねぇ!」
 男は、以前、和巳に母親との行為を見せつけてからかってやろうとしたことがあった。だが、和巳は驚きもせず恥ずかしがりもせずにふたりの行為を冷たく見下ろすだけだった。男には、そんな和巳が不気味なのだ。
 母親の涙目が和巳に向けられた。
「早く、あっちに行って!」
 和巳は動かなかった。
…こんな女の言うことなんか、聞いてたまるか!
 男がソファに戻って、ブリーフを穿き、パンツに足を通しだした。母親がその肩にすがりつく。
「待って!お願い!」
 払いのける。
「あのクソガキ、オヤジのとこで引き取らないなら、あんたとは一緒にならねぇ」
 母親は、この暴力的で下品な若い男に夢中だった。これまでの何十人もの男の誰よりも入れ込んでいた。
 ヘアも見せたまま和巳に駆け寄った。和巳に胸に拳を叩き付けた。整った眉も大きめの目も吊り上げて喚いた。
「出てけ!出てけぇ!おまえは、あの人そっくり!私をそんな目で見て!大ッ嫌いよ!」
―おまえはあの女にそっくりだ。見るのも不愉快だから、ここへは来るな―
 あの人の方はいつもそう言ってるぜ。
 母親の拳を払った。
「言われなくても出て行くさ!誰が、こんなトコにいるか!」
 男狂いの牝ブタ、淫乱女、そう罵ってやれたら、この胸の詰まりがなくなるだろうか。
 まだ動いていた酒の自販機から五百mlビールを三本出して、公園のベンチに座った。ビールでコンビニで買ったサンドウィッチを流し込んだ。
 母親が聖女だとか父親が君子だとか、つまり、そういうキレイなものだなんて幻想はとっくに壊れている。幼い頃からいやというほどふたりの醜い姿を見せ付けられてきた。だからふたりの浮気だか不倫だかも好きにすればいい。離婚も勝手にやれと投げていた。それでも一応両親なのだから、せめて大学出るくらいまでは、面倒を見てくれるだろうと思っていた。だが、高校受験という大切な時期にすらモメまくるだけで、何もしてくれなかった。
 京杏にいけなかったのも、ふたりのせいだ。ふたりにとって自分はただ邪魔なだけなのだ。それでも好きなバスケットをしていれば、楽しかったし、気も紛れたのに、その部活もやめてしまった。
 どこにも…身の置き所がない。バスケも…できない…。
 ドン底の底が割れた気分だった。まだ飲みなれていないアルコールが、くやしさと苛立ちと怒りに火を注ぐ。
 何もかも、ぶち壊したい!
 感情が頭の中で破裂する。そこに酔いがぶわっと回った。
 このまま横になったら…もしパトロールのおまわりにでも見つかったら…。
「あそこ、もくり込めっかな…」
 ふらふらと歩き出す。
 制服で顔を赤くしている高校生を乗せるようなタクシーはロクでもないに違いないが、助かったとシートでぐったりした。
 倉庫近くで止める。
「このヘンに家があるのかい?」
 親からタクシー代をもらおうというのだろう。返事をしないで、上着のポケットの封筒を渡した。中を見た運転手が、降りてしまった和巳を呼び止めた。
「あっ、釣り!」
 和巳が
「いらない」
 と歩き出すと、さっさと車を回して言ってしまった。
 例の倉庫の前まで行く。厚い扉は閉まっていた。だが、高窓から淡い光が漏れている。まだ誰かいるのだ。口髭かな…。急にもう来るなといわれたことを思い出した。
 でも、今さら引き返せない。あまり力の入らない手で扉を開ける。覗き込む。
 照明塔の光が、やけに眩しい。視界がぼうっと霞んでいる。ぶれていた視界がゆっくりと一つになった。正面のゴール下にオーナーが立っていた。
 トレンチコートを着て、両手をパンツのポケットに突っ込んで、天井を見上げていた。
 いや…ゴールを見上げているように見えた。そのどこか『もの憂げ』な…寂しげな…、そんな背中に、釘付けされていた。オーナーが振り向いた。
「誰だ?」
 あせった。すぐに動けずにいると、オーナーが寄ってくる。扉の隙間にいる和巳に眼鏡を光らせた。
「封筒を受け取って帰ったと聞いたぞ」
 来る途中、酔っ払った頭なりにここに泊めてもらう言い訳を考えていたのだが、全て吹っ飛んでしまった。
「俺…帰るトコがない…」
 口を開いた途端、押さえが効かなくなった。目の前が揺れてくる。煮詰まって、破裂して出せずに溜まったものを吐き出していた。
「お袋は若い男と寝てる!親父も若い女と寝てる!どっちにも俺の寝るトコがない!」
 同時に頭の内側も外側も回り出し、気が遠くなった。

 身体が小さく揺れる。ほんのかすかに目が覚める。前の方に赤い光がふたつ見える。左右に…揺れる?車?そう思うまもなく、また見えなくなった。
…「おい、起きろ」
 肩を揺すられて、何事かと手の甲で顔を擦った。
「あ…?」
 右側から手が伸びてきた。
「とにかく降りろ」
 腕をつかまれて引っ張りだされる。メチャクチャ気分が悪い。なんとか目を開けたが、ぼやけている。肩を掴まれて、ふらつく足で歩かされた。
 エレベーターに乗ったらしい。ガタンと動いた。こみ上げてくる。
「うっ!」
 口を覆う。
「もう少しだ、我慢しろ」
 耳元での声が誰かもわからない。必死に吐き気を堪えた。だが、停止のショックで大きく胸が上下して身体が折れる。上がってしまった。
「ぐっ…」
 指の間から垂れてくる。エレベーターを降りて、急いで一室に飛び込んだ。ローファーを蹴飛ばす。肩を押されて洗面所に連れて行かれた。淡緑の洗面台を見て、堪えきれなくなる。
「そっちじゃない!」
 言われてももう止められない。口の中のものを吐き出していた。
 情けなくも涙を滲ませて吐いた。鼻の方からも出て来る。苦しい。
 だが、すっかり出すと、信じられないくらいすっきりとした。頭もはっきりとしてきた。蛇口を捻ってうがいをした。大きく吐息をつく。
「そっちじゃないと言っただろう。後始末する身にもなれ」
 驚いて顔を上げる。大きな鏡の中に、トレンチコートのオーナーがいた。振り向く。
「オーナー…」
 呆然。オーナーは短く息をついて、ランドリーラックの上のタオルケースから一枚出した。和巳の胸に押し付ける。
「玄関の荷物をもって、来い」
 鋭い矢のようだ。タオルで口の回りを拭いて、玄関にころがっていた鞄とドラムバッグをもってついていく。
 改めて住まいの中をうかがった。玄関スペースから見て左側が洗面所、正面と左奥に扉が二枚、右側にオープンキッチンを備えた広いリビングがあった。二十畳以上ありそうだ。
 応接セット、サイドボード、オーディオラック、パソコンデスクがある。角柱の両側が大きなガラス窓になっていて、バルコニーに出られるようだった。窓の外に街の明かりがちらほらとしている夜景が見えていた。かなりの高級マンションの一室だった。
 和巳は窓に寄り、外を見た。その背中に冷水がかぶさった。
「シャワーを浴びて着替えろ」
 コートと上着を脱いだオーナーが、パジャマらしき上下をソファーに置いた。
 長身がリビングを出て行ってから、制服の上着を脱ぎ、パジャマをもってバスルームへ行った。シャツの袖口をまくったオーナーが割り箸で排水溝を突付いていた。吐いたものが詰まってしまったのだ。ひどく申し訳なかった。
「すんません!俺がやります!」
 だが、オーナーは手を止めない。
「いいから、さっさと言われた通りにしろ」
 あわてて脱いで、バスルームに飛び込んだ。ぬるく、熱く、またぬるくと浴びた。
…オーナーでひとりぐらしなんだ…それに…けっこう、優しいとこ、あるじゃん…
 あの射るような眼、冷たい声、沢口がひどくおびえていたし、あの横柄な口髭もへいこらしていたので、とんでもなくコワイお兄サンかと思っていたのだ。そんなオーナーの意外な一面というヤツを知ることができて、うれしくなっていた。
 大きめのパジャマだった。小便をすると、すっかり落ち着いていた。脱いだ服を丸めてリビングに戻った。オーナーが、こちらを向いて座っていた。テーブルのリモコンのスイッチを押す。その側にウーロン茶の缶があった。
「私も浴びてくるから、これを飲んで、ビデオを見ていろ」
 頭痛薬らしい二錠を渡された。ソファに座ってウーロン茶で飲む。三十六型くらいのワイドな画面がこちらを向いている。興味津々で見つめる。
 ザーッというノイズが続いていたが、画像が出た。あのガレージでのゲームだった。今日いたメンバーも何人かいた。
「…室生…」
 真っ先にファルコの室生が目に入ってきた。ドロップアウトとはいえ、さすがに強豪でやろうとしていただけはある。スピードが違う。瞬発力と切り込み方が違う。その動きは『要チェック』だった。
「やっぱ、こいつと当たるときは高さで押すっきゃないな」
 背は七、八センチの差がある。その上、ジャンプ力は自分の方が上のようだ。こいつの上から叩き込んでやれば、スカッとするだろう。公式ゴールでも一応叩き込めるのだから、十センチ低いスト・バスのゴールならゲームでも行けるはずだ。ワクワクしてくる。他のメンバーの動きもチェックしていると、急に途切れた。
 浅黒い肌が画面いっぱいに広がった。細くすすり泣く声が聞こえてくる。
『嫌ぁ…もう、やめて…よォ…』
 何かとギョッとした。画面の隅に顔が見えてくる。徐々にアップになる。髪が長くて顔が人形のようにかわいくて幼く見えるが、和巳と同じ年頃の少年だった。知らない顔だ。涙と粘り気のある白い液体にまみれている。泣きながら震えている。見えていた浅黒い肌は背中だった。少年に伸し掛かっている男の背中だった。

 
   
 
 


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